天井のファンでかき混ぜられた、窓のない地下室の空気。
エアコンの冷たさと、金属を熱したような排気口からの生温さ、うっすらと漂う硝煙と、コーヒーの香り。
頭の上あたりから聞こえる、キーを叩く軽快な音で目を覚ます。
ベッドの上でうつ伏せになって顔を上げると、いくつものモニターが見える。そしてそれに囲まれて首を傾げ、キーを叩いては止め、タップしながらモニターを覗き込んでいる後ろ姿をベッドの中から眺める。
こちらが起きている事にはきっとまだ気づいておらず、癖っ毛の黒髪をさらにボサボサと掻いている。
手元のコーヒーもとっくに冷めてしまっているようで、あの作業がまだ当分終わりそうもないなら今のうちに朝食でも買いに行こうかと、布団の中を探ったが服が見つからない。
仕方なくブランケットを被り、モニターに夢中になっている後ろ姿を確認しながらベッドを下り、そのままバスルームへ走り出そうとしたが、床に落ちていた服を踏んで顔から転んだ。
すぐに起きたがすでに遅く、顔の前にはしゃがんで笑う無精髭が見えた。


――

#4


枕がわりのクッションと柔らかい布に包まれたままゆっくりと目を開けると、打ち付けられたグレーのコンクリートの天井に、細長いファンがゆっくりと回っているのが見えた。
着ていたスウェットはタンクトップとハーフパンツに変わり、軽い手当もされてはいたが大方はそのままのようで、体に貼り付いた血の塊やまとわりつくネバつきが気持ち悪い。片眼はまだうまく開かず頭痛もするが、顔の痛みと腫れは少し退いているようだった。

少し頭を動かすと、ベッドの脇にはサイドテーブル、その上にはペットボトルの水と薬の瓶、携帯端末、その向こうにふたつの人影があった。

「あ、起きたよ」
「起きた」
「んー…」

聞き覚えのある二つの中性的な子供の様な声に、怠い返事を返しながら、倒れ込むようにして眠る前の記憶をうっすらと思い出して安堵する。タイムリミット前に必要な薬を必要な分だけ服用できたようで、精神的にも気が緩んだだけのようだった。一時期は依存すほど持ち歩いていた薬だが、最近では危機感が薄くなり油断していた。それが今になって手元に無い事に焦り、それを口にしておきたい正確なタイムリミットも体内時計でしか判断できなかったのが更に煽って気が張っていた。ここに着いてそれを確認し、その緊張が緩んでの眠りだったのだろう。

「どんくらい寝てた?」
「2時間くらい。」
「シャワー浴びて洗ってきなよ。ちゃんと消毒する。」

薬の瓶を持って時間を確認しながら、この場所の住人ふたりと顔も見ずに会話する。
顔も見ずにお互いに必要な事以外は聞かず、話さず、それでも居心地悪さを感じない安心感があった。

「着替えあるけど…着る?」

タオルを投げて来たのを受け止め、淡々と話す声の主の方を向く。
声の主は茜よりは少し小さくて華奢で、白い肌にブルーグレーの瞳、グレーに近いブロンドの長めのショートカットを片側のサイドで結び、襟元の大きく開いたTシャツにハーフパンツうを着た中性的な…声の低さだけで判断するのであれば少年であった。

「さっきの服は捨てる?」

逃走中に茜が着ていた服を丸めながら、少し離れた所からもうひとつの声が顔を出した。
こちらも淡々と隆起のない口調で、前者と全く同じカラーリングの白い肌にブルーグレーの瞳と髪色、そして服装だった。違いは髪型――前髪のない短いボブカットと、前者より多少高めの声と、さらに華奢な体型だった。
一見すると双子の少女のようにも見えるが、二人はひとつ違いの兄妹だ。歳は10代の前半くらいだろう。

「着替えって、それ、あれだろ?…って、おいこれっ?!」

むず痒い気持ちになりつつ茜がベッドから降りようとした時、自分の片足とベッドの足が足枷で繋がれていることに気づいた。

「あぁ、ジョークジョーク。ほら。」
「…しゃれんなんねーな。つか、セニア背ぇ伸びたな?」

二人が眠っている間に逃げ出さないようにと、過去にも足枷に繋がれて眠っていたことを思い出して苦笑する。
足にはタオルが巻かれ、その上からの拘束具なので痛みも傷も着いていない。枷には鍵もなく、そばに寄って簡単に外して見せた背の高い方――セニアを、茜はベッドに座ったまま見上げた。

「去年までは同じだったよ。シィだけ伸びたんだ。」
「でもリィのが足のサイズが大きい。アカネ、会うのは何年振り?」
「イリヤの足いくつだよ?…んー、シャワー浴びるわ。」

何気ない一言でも、あまり触れたくはない内容で、それを避けてバスルームへと向かった。


兄の方はセニア、妹の方はイリヤ。ふたりの間では愛称で呼び合っている。
ネット上では頻繁に存在を確認しあっているものの数年振りの再会であり、それを感じさせない空気ではあったものの、一時期から茜が一方的にこの場所へ寄り付かなくなっていた事が気になっていた。

薬の瓶で服用時間を確認した時、処方された日付も目に入った。
それは自分が以前ここへ来た時に持っていたものと同じものだが、それよりはずっと最近に処方されたもので、ここの二人がそれを必要としたのでは無いことは開けた時に未開封だった事でわかる。
どういった状況で必要なものなのかは知らなくとも、茜の常備薬らしきものがこまめに買い足されていたらしき事で、いつ来るかもわからずともいつ来ても平気なようにされていたのだと感じた。
それが少し心苦しい。

シャワーを浴びてカーテンを開けると、洗面台の横のタオルラックに、タオルと一緒に服が置いてあった。
どちらが置いたのかはわからないが、誰の服かは大体の予想はついた。
脱ぎ捨てた自分ののタンクトップを着直し、置いてあった服を持ってバスルームを出ると、ベッドの上で胡座を組み、その前に治療道具を広げたイリヤが手招きをしていた。

「折れてない。痛くない?」
「洗ってあるよ?」

茜もベッドに座り、イリヤにされるがままに全身のチェックや消毒や治療を任せると、手に持たれた服を見てセニアが少し不満そうに零した。

「あとで着るー。」

不満そうなのを見て笑って答えたが、何となく着にくい気持ちがあった。
茜の予想通り、それは元恋人のもので、それを着たからと言って後ろめたいことは何も無いのだが、見覚えのある服はそれを着た本人の記憶も同時に思い出させ、何故か一緒に現在の同居人であるニキの顔も浮かんだ。

ふと、二人の共通点も探してみたが思いつかず、考えれば考えるほど正反対に感じた。

「…赤毛が気にすると思わないけど?」
「俺が気にすんだ。俺が。」

イリヤの指摘通り、自分が元恋人の服を着たからといって、もしもそれを目にしたからといって、赤毛――ニキが気にするとは微塵も思わない。茜が気にするのは、その持ち主本人への自分の感情に対してだった。

「つか、なんで知ってんだよ…。」
「ここ来なくなって少しあと、死んだと思って探した。」

自分の知らないところで他人に知られている、そんな事は日常的に茜もしている事だが、つい不満が漏れた。
だがそれに続くセニアの言葉に、あぁ…と、納得せざるを得なかった。
なんとなく居辛い場所、それだけの理由で寄り付かなくなったのだが、ここの住人にはあの頃の自分はそんな風に見えてたんだな…と、質問内容を後悔して苦笑いしながら、蛋白なのに少しだけ子供がダダを捏ねるように答えたセニアを見やり、そのセニアと同じように若干不貞腐れたような顔をして茜の顔を乱暴に手当するイリヤの頭を撫でた。

「まぁ、悪かったとは、思ってる。でもしばらくは思い出したくなかったんだ。」
「今は?」
「んー、前よりは、平気…っかなぁ…」

茜を挟むようにしてベッドの淵に腰掛けてきたセニアに聞かれ、茜は改めて部屋の中を見回し、自分の覚えているものと現在のものを重ねて、反芻するように呟いた。

ほどんどが手付かずのまま残っているのは、この場所の現在の住人である二人がほとんど外出していないためと、おそらくはあまり手を加えたくないのだろうと感じた。

狭くはない地下室の空間、部屋の真ん中辺りに二人掛けのソファがひとつ。TVはなく、壁際のラックにはラジオのチューナーらしきものが数台と、そこに繋がれて積まれたヘッドホン。その並びにパイプベッドとキャスター付きのサイドテーブル。ベッドのすぐ横には会議室の長机のようなサイズのテーブルと、その上に積まれた大小いくつものモニター、その隙間に本のように立て掛けられているのは複数のキーボードだった。

この場所は元々、茜の元恋人が使用していた仕事部屋のようなもので、茜がニキの部屋に構築したものとは比べ物にならないくらいの機材が設置されている。最新とは言えないが、見る人が見れば涎ものだろう。
そしてその使い方と技術を茜に教えた張本人が恋人であり、さらにそれを茜が二人に教え込んでいた。


―――

出会ったのは父親の仕事場――裏社会での医療行為を行う地下医院で数回見かけた程度だった。
最初は声を掛けられても相手にしていなかったのだが、そのうち自然と会話するようになり、複雑でパズルのような話し方とその内容が、退屈なクラスに馴染めず登校をさぼってフラフラしていた茜の興味に触れた。

電子機器の扱いや、複雑なコードの羅列の解読も夢中になって教わった。
気を許したのは、相手が自分よりひとまわり以上も年上だったからと、父親を口説いていたのを見たのでゲイだと思ったからだ。

現在の茜は少年のような格好をしているが、当時は中性的ではあるが少年に間違われる程でもなく、適当なシャツにハーフパンツという服装をしていても、ボーイッシュな少女という外見だった。
背は平均よりも高く細身で、髪もボブの少し長めあたり。実年齢より大人びて見えたのは育った環境のせいだろう。考え方も同年代のクラスメイトとはかけ離れ、全てが子供のママゴトに見えてバカらしく見えた。当然馴染めず、数ヶ月通ったきりでフラフラしていたが、血の繋がらない父親――レナは何も言わなかった。
友達と呼べる相手もおらず、仲の良い相手は大体が年長者で、特に仲の良い相手――父親の友人の二ユーシャーは、どこかの国へ放浪中である。次に出国する時には着いていくのも悪くはないかもしれないと思ったが、その時は特に出かける先もなく、なんとなく出入りしていた父親の職場での人間観察が一番の暇潰しでもあった。
父親のレナとしても、目の届く範囲に常に愛娘がいる状態は都合が良かった。
頭が良いのは誇りであったが、部屋に篭って中古の通信機を黙々と弄っている娘を見たときは、一度は一般家庭の子供のように通学をさせて学友をと思ったのだが、日に日により表情の無くなる茜を見た時に、もしこのままなじめないクラスに押し込め続けた事によって、その他大勢の頭の悪い連中に万が一何かを感化され、黄色い声を上げながら派手な化粧をして騒ぎ出す可能性も無くはないのではないかと怯える心配もない。
口が悪いのは自分や育った環境のせいだと否定はしないが、頭の回転の良さは誰に似たのかはわからない。
もしかしたら見ず知らずのDNAが関係するのかもしれないが、生まれついての荒っぽさは自分にそっくりだと、レナは自分が疑いようもなくこの子の父親であると信じていた。
茜が生まれたとき、レナに茜を託しに訪れた東洋人の女性――レナが一方的に惚れていた娼館の女主人と交わした約束もあり、目の届く範囲にいる限りは守り切る自信もあった。

裏社会での人間相手のそこは、身なりも身分も関係なく、金さえあれば治療を受けられる。
当然身分証も保証人も、来院した理由も紹介状も必要ない。場合によっては金さえ必要ない。
その来訪者達の身なりや口調、連れや怪我の具合、タトゥや支払い方やその金額、払えない場合の労働での対価、それら情報元として推測しては見つからぬように尾行し、見失えば我流のハッキングや盗聴で答え合わせをするのが楽しかった。
たまに見つかっては逃げ、逃げ切れずに捕まり、二三発殴られる事もあったが、治療先の娘ということを知る相手からはさほど手痛い目にも合わずに済んだ。ほんの遊び程度のつもりのスリルとだたの興味という暇潰しであり、それ以外に興味事もなく、目的もなく、暇でなくなるのなら命がけのスリルでも別に構わないと思っていた。

そんな事を繰り返している時、尾行に失敗し、相手の次の通院で再会し、尾行の下手さをからかって来たのが元恋人――ケイだった。父親と同じくらいの長身で、少し長めの癖毛の短髪黒髪にグレーがかった黒い目、肌は黄色よりは白に近いが、名前からしておそらく東洋系だろう。まだらに生えた無精髭を剃れば、実年齢よりも若く見えそうだった。
ケイは何度も来院しては薬を買って行き、その都度父親を口説いているようだったが、口調は冗談か本気かわからず、その口調のまま茜に話しかけられたので、最初は驚いたが無視をした。
何度か話しかけられて慣れてきた頃、父親――レナが好きなのか聞いてみたらあっさり肯定された。
その時の茜があまりにも不愉快な顔と父親に対する暴言を吐いたので、ケイはレナを指差して膝を叩いて涙目で笑った。

その後は医院の上の階にあたる自宅にも顔を出すようになり、ふと茜がリビングでラップトップを弄っている時に覗きに来た。
何か気になるのか、ケイはモニターを暫く観察した後、防犯カメラの映像をどこから引っ張って来たのか、盗聴器は何を使っているのか、どこの何を経由すればそこへスムーズに入れるか、質問と助言を繰り返した。
茜は驚いて反論しようとしたがすぐに言っている事が理解出来たため、その先を知りたい好奇心が勝り、素直に質問に答え、そして指示に従った。
その茜の切り替えの早さが気に入ったのか、次の来院時からは必ずと言って良い程茜の作業に付き合うようになり、茜もそれが難解になる程のめり込んで行き、お互いに気を許すまでそう長くはかからなかった。


ケイは仕事の関係でNYに訪れ、そのついでに古い友人であるレナの医院を訪れ、薬の購入と患者からの情報収集を兼ねていた。その時にまさか子持ちになっているとは思わず、それをからかいのネタにしながら昔話を楽しみに来ていたらしい。そのうち、そのからかいの対象は茜に変わっていた。

親しくなり始めの頃に父親から彼に深入りするなと言われた事もあったが、当時は深く考えもせず、茜とつるむ人物へと毎度繰り返されるいつもの小言だろうと思って聞き流していた。

父親の警告もすっかり忘れて共に居るのが当たり前になった頃には、自宅以外でも頻繁に会うようになっており、茜を自分の秘密基地に連れて行くと言われた時には冗談だろうと思ったが、全てが冗談でもない気がして、茶化しながらも着いていった。地下道を通って部屋に入り、機器を見たときには呆然としたが、それに勝る興奮が押し寄せてきて、つい声を上げてはしゃいだ。

茜は普段、特にクールに装っているつもりはなかったが、同年代から見たら大人びては見えるほどには全てに対して客観的ではあった。同じ場所に居る親しい相手とでも、一歩引いた位置から観察するように――リアルであるのにモニター越しにスピーカーを通しているような、現実味の感じない接し方をしていた。
それがこの地下室に来て、好奇心と探究心と、全ての機器に対する支配欲が吹き出して、興奮が抑えられなかった。

ケイが初めて見る茜のその言動に笑いながら、機器を起動させながら簡単に説明をしていき、茜はそれを片っ端から試し、質問を繰り返しながらも数時間後にはほぼ使いこなしていた。
丸一日程掛けて全ての機器を自分なりに堪能し、やっと感じた空腹感にコーヒーをすすっていても、新しいおもちゃをみつけた興奮は冷めなかった。
だからそこで、ケイがうっかり無邪気な茜に触れたくなってしまったのも、茜がケイに触れられても拒まずに応えてしまったのも、キスをしたのも、気づいたらベッドの中で夢中でしがみついていたのも、全てが興奮状態の中での勢いだった。

目が覚めた時、茜は見慣れない天井を見た瞬間に我に返ったが、徹夜で機器いじりをして脳を酷使し、それに続いた肉体的な運動で心身共に疲労感がピークに達し、そのまま寝落ちてしまい、それを思い出しながら徐々に鮮明になっていく記憶と共に空腹感が襲って来た。
ベッドの上で寝返りを打ってケイを探し、頭上あたりで機材のメンテナンスをしている背中が見えた。
名前を呼ぼうとしたが、就寝前の自分の失態と、それに対するケイの反応も思い出し、今更顔から何か噴出しそうなほどに熱くなって来たのを感じて、頭の先まで毛布に潜った。

茜は当時15歳だったが、ケイとの事が初めてというわけでもなかった。
だが自分の知っているそれとは、まるで別物だった。

ケイと親しくなる数ヶ月前まではまだ通学していた。
父親の職業柄、同年代の中では胆が座っており、クラスに居た黄色い声の少女達とは違った雰囲気を持った存在であったのは確かで、それが噂程度には素性を知っているクラスメイトの興味を引きやすかったのか、もしくは軽く見られたのか、はたまた物好きなのか何かの肝試しなのかはわからないが、数少ない登校日に人目のない所へ連れ込まれたことが数回ある。
茜は最初「良くある生意気な新入りを恐喝する子供版か?」と思い、負ける気もなかったので黙って着いて行ったのだが、そうではなかった。校内のどこかの用具室に連れられ、鍵をかけられ、自分に酔ったように何かの運動をしているらしき筋肉質の体を自慢しながら相手が求めてきたのは、身体だった。
触れられたとき多少の嫌悪感はあったが、大人相手の日常に耳だけが肥え、それがどんな感覚か知りたい欲求もあった。体つきを見ても、この年にしてはよく鍛えている、とい程度にしか見えず、医院に来る患者達の洗練された戦それとは比べ物にならないし、精神的には屈しない自信もあった。
良く耳にする情報の確認と暇つぶし、その遊び相手としてしか思わなかった名前も知らない最初の人物が、友人に話したであろうその翌日から数日、同じ場所で入れ替わり立ち代りに複数人を相手にしたこともある。
どれもさほどテンションは上がらず、噂されるほどの快感も得られず、ただ自分の欲求を押し付けて処理したいだけの動物にしか見えなかった。目的は違うが誰でも良かったのはお互い様だ。
茜との関係はその相手にとって秘密にしたいようで、通常の校内では他人のように振る舞い馴れ馴れしくもされず、こちらもそれが好都合ではあったが、表では退屈な授業、裏では同じ行為の繰り返し、そのうち同年代との集団生活そのものからも興味が失せ、登校するのすら面倒になった。

ケイが後になって弁解して来た時、茜に少し余裕があったのはそのせいで、同時に酷く動揺していたのもこの経験のせいだった。
ケイの触れ方は茜の見知ったものでなく、強引でもなく、茜の反応を確かめながら楽しんでいるようなのもで、それをテンションが手伝ってうっかり夢中で貪ってしまい、更には声を出してしまったという敗北感と苛立ちを感じた。それ以来、ケイが触れたり顔が近づくだけでそれを思い出し、過剰に反応してしまう。
ケイはそれを喜んでわざと構って来るようになったが、それがさらに面白くない。
屈したつもりは無かったが、強引さも感じなかったため嫌悪感も感じずに受け入れてしまったのは確かだ。

年齢差を気にしたのはケイの方だった。茜の年齢が見た目より大人びていたのと、その冷めたような日常の振る舞いと違った無邪気な反応を目の当たりにしてから触れてしまうまで、出会った頃に茜の父親から聞いていたのを、ケイはすっかり忘れていた。そして触れた瞬間には確かに思い出し、一瞬働いた理性は、茜が拒まなかった事でどこかへ行ってしまっていた。
茜と過ごし、冗談で口説いたりしているうちに本気になりかけていたのは確かだったが、それを抑える自信もあった。もし万が一こちらがその気を見せたところで、茜が当然拒むだろうとも思っていた。だから自宅へ連れてきたはずだったのだが、それが火を付ける結果になってしまったのだ。

ケイはゲイではなくバイセクシュアルであり、茜の父親が青年時代に仕事先のドイツで組んだ事がある、という事だった。その当時の事は深く聞きたく無い!と茜は耳を塞いだが、肉体的な関係はなかったらしい。
茜はケイの過去の相手の性別がどうであれ、それは全く気にはしないが、自分の父親の元恋人相手に自分が失態を犯したとは想像もしたくなかったので、その点だけは安堵せざるを得なかった。

勢いでの関係以降、ケイが必要以上にその関係を求める事はなかった。近寄ると茜が予想上の反応と警戒心を露骨に表したのと、その表情が自分を拒んで居ないのを感じ取り、自分の半分もない年齢の少女相手に少しのむず痒さを感じ、ケイの方でも意識せざるを得なくなってしまったのだ。
それでも徐々に、自然に距離は縮まり、リビングで茜の腰を自然に抱き寄せたケイがレナに目撃され、そこから発展した過激な親子ゲンカによってふたりの関係もバレてしまい、ケイは「茜を泣かせたら殺す」という脅迫に似た約束を受け入れざるを得なくなった。

血は繋がらずとも父親であるレナは、茜が好意を持つ相手に対しては常にキレたり妨害する人物であったが、その時の様子はいつもと違い、茜とケイが親しくなる前にも忠告された事が、茜は少しだけ気になった。

茜にしてもいつもであれば、出会った相手のことは徹底的に調べ上げ、弱味を握って優位に立ってから関係を築くのだが、不思議なことに、ケイの素性についてはろくに調べたことがなかったのだ。
直接尋ねてみれば早い気もしたが、嘘は言わずともはぐらかされて終わる気もした。言いたくない事なら聞かずに居たい気持ちもあったが、過去がどうであれ信頼関係や態度が変わるとも思えず、自分のスキルとケイに教わったスキルを合わせれば知っていても不思議でないと思われていることもわかっていた。
すでに知っていると思われているなら調べてみても良いかもしれない。ケイの仕事場の設備ならそれは簡単な事で、むしろそれを望まれているのかも知れないとも思った。
茜の一番の興味は、その設備を使ってケイが何の仕事をしているのか、そしておそらくそれは機密情報に近いものである気もするのに、どうしてそこに自分を連れてきたのか、という疑問だった。